英語のlike,wantはやっかいな動詞
英語を指導する際、特に中1ではbe動詞と一般動詞をしっかり色分けできることが大切ですが,同じ一般動詞でもbe動詞の体系と勘違いしやすい単語があります。likeとwantです。(be動詞はam,is,areと言っても理解されても,定着にはものすごく時間がかかります。)
たとえば、
という問題に対しては、Do you play baseball? とできる子も、
誤答例Are you like soccer?
になってしまう子も少なくありません。likeが「~が好きです」と訳され, 「です」 があるからbe動詞を入れてしまうんでしょうね。
また、
誤答例What is Tom want?という誤答もたまにみます。
要は単純に 「です」=be動詞 だという認識をしているだけだと、こういう間違いはなくなりません。
たとえば「彼は若い です 」。ならHe is young.と書ける子も「彼は若い」になるとHe young.とやりかねないということです。
英語は「動詞」が重要視されている言葉だから、日本語の形容詞(形容動詞)を述語として(動詞的に)使う場合には be+形容詞 の形で使うことをまず押さえておかなければいけません。 「若いです」も「若い」も日本語の述語として機能しているわけだから、「be+形容詞」 にしなければいけないのです。
英語のlike,want問題の背景に文化的な違い?
そう考えてくると、厄介なのが、like,want問題です。これらは日本語の文法では like:好きだ(形容動詞)、want:ほしい(形容詞)に分類されます。したがって、先ほどのbe+形容詞のルールをあてはめれば、I am like apples.なんて表現が出てきても不思議ではありません。
これは子どもたちにとっては分かりにくい事柄であり、またじっくり考察すると文化論にまで発展する面白い要素を含んでいるように思います。
私はかねてから、なぜlike,wantが英語では動詞なのか自分なりに考察してきました。
そして、その結論は、 それぞれの国や地域にある「文化的相違」が背景 にあるということです。
欧米人は自己の考えや権利をしっかり主張する文化です。一方,日本人はそういうことを前面に出さないことに美意識を感じてきました。いわゆる「察しの文化」です。
欧米人は相手(対象)を好きになったら、「好きだ」と言葉に出します。しかも、そのlikeは日本人が心に感じるようなものではなくて、 自己から相手に向けられた動的なもの 。まるで、ドラゴンボールの悟空のカメハメハみたいな感じで対象にぶつかっていくものとして捉えられているのではないでしょうか。
wantも同様です。「ほしい」感情を内に秘めておくことが日本では品格につながります。むやみやたらに「ほしい」という感情をぶつければ、日本では厚かましく思われてしまうでしょう。あくまで心の内側の状態として捉えられています。しかし、欧米人はやはり「ほしい」というのも,カメハメハのように対象にぶつかっていく動的な言葉なのではないでしょうか。
これはあくまで自分の勝手な仮説ですが。
いわゆる一般動詞と呼ばれる部類の中で「走る」,「泳ぐ」といった「動作動詞」は子どもたちにしっくり「動詞」として伝わりますが「状態動詞」はこのような言葉の認識のズレから、ともすればしっくり理解されにくいわけです。
もちろん、彼らがいちいち品詞を意識して言葉を学んでいるわけではありませんが、子どもたちの中で生まれてから十数年の蓄積された日本語の言語体系の中で like と want はわりと混乱を起こしやすい言葉であることは間違いありません。