4cm÷5mm=8 なのか?
娘が算数のテストで「4cmの針金を5mmずつに切ると何本できますか」 という問題に (式)4cm÷5mm=8 (答)8本 と解答したところ、式が減点されてた。 「この式では答えは8になりません」と書かれてたけど、単位付けてるから正しいのになあshelfallさん(@shelfall)が、学校の指導の仕方について疑問を投げかけました。算数のテストで「4cmの針金を5mmずつに切ると何本できますか」という問題に、娘さんが「4cm÷5mm=8」と解答したところ、先生に「この式では答えは8になりません」と減点されてしまったといいます。
<Yahoo! ニュースの記事から引用>
このニュースが賛否を巻き起こしていましたが、私が採点する側だったとしても、減点するでしょう。
おそらくこのお嬢さんは勉強のできる子で、頭の中で単位換算したから、正しい「8」という答えが導き出せたのかもしれませんが、「4cm=40mm」の記述がない以上、理解してそうしたかどうかは答案上からは分かりません。そうである以上、採点者が答案から解答者の意図をくみ取るしかありません。そのくみ取った結果が「減点」という対応だったのだと思います。小学生に求めるのは酷な話ですが、解答者に意図をくみ取らせる答え方はその時点で瑕疵のある答案です。
理屈で成り立っているのが算数・数学
とりわけ理系領域にあって「AだからB」という因果の積み重ねは重要です。「4cm=40mmだから」という前提は問題を解く上で示しておかなければならない要素だと私は考えます。なにより単位換算はその後、学んでいく「速さ」や「割合」でも重要になってきます。
「1時間で6000m動いた分速は?」 と問われ 「6000m÷1時間=100(m/分)」 という記述の仕方はさすがに違和感があるでしょう。 「6000m÷60分=100(m/分)」であるべきです。そもそも単位(m/分)自体が「広義」の文字として処理されていることに気がつかなければいけません。
その考えで言えば、「4cm÷5mm」から導き出される答えは 「4/5(cm/mm)」であって、「8」にはならないのです。「40mm÷5mm」だからこそ、「8(mm/mm)」、すなわち単位の部分は約分できて1になるから「8」という値が出力されてくるわけです。
「理屈っぽいな」と思うかもしれませんが、理屈で成り立っているのが算数・数学という教科です。その理屈をだれもが納得する形で示さなければなりません。
単位は重要
たとえば、人口密度の計算などでも、300(人)と書く生徒がいます。たしかに数字上は300(人/㎢)と同じでも、単位の前提が違うから、値の持つ意味自体が別物になります。
「数字が同じだからいいじゃん」という理屈を持ち出されても正答にはできないケースです。差異に対して無頓着の姿勢は、自然科学の領域では望ましい態度とはいえません。
単位は重要です。(人/㎢)という単位自体に「人口密度」の意味が含まれていますし、理科で学ぶ「密度」も、算数で習う「速さ」も同様です。その際、単位を揃えて計算する習慣づけは決して軽んじてはならないものです。
「100円の2割は?」と聞かれ、 「100円×2割=20円」 と書かれたら、さすがに違和感があるでしょう。この形で身につけてしまったら、中学に入って文字式をならった段階で、「100円のb割を文字を使って表せ」という問題に、「100×b/10=10b」と立式できるようになるか疑わしくなります。
もちろん、くだんの子は地頭のよい子だから、しっかりできるのかもしれませんが、単位変換させることを徹底的に教える指導者のことを「頭の固い指導」とは言えないと私は思います。
脳科学者の茂木健一郎氏がこの投稿に対して、この算数の先生は「カルト」的だと批判したようですが、的外れな指摘だと言わざるを得ません。
緻密に丁寧にものを作り上げる日本の精神と〝単位変換〟問題
この単位変換問題はたんに数学だけの問題にとどまりません。
いまの日本の教育はICTに力を入れていて、「情報」も教科としての地位を高めています。なにかとプログラミング、プログラミングとけたたましいですが、こういう単位変換を徹底させる指導はプログラミングの理解の素地を作る上でも大切です。
自分は専門でありませんが、画像と一口にいっても、「.jpg」「.png」「.gif」 「.bmp」などの様々な形式があり、その形式ごとに特徴があります。拡張子の違いは画像を扱う上で重要であり、その形式を変換するソフトもあります。見た目の画像やファイル名が同じであっても、厳密にいえば拡張子が違えば別物なのです。
プログラムだって、「半角入力を全角で」、「 ” を ’ で」書けば、作動しません。微妙な違いも動作に影響を与えるのです。「たったこれくらいの違いで!」と思うかもしれませんが、メールアドレスだって、一文字違えば届かないという経験、したことありませんか? そんな経験を私たちはやらしかしていますよね。
たとえ単位が付されていようとも「4÷5=8」であってはなりません。これを「単位がつけられているからいいじゃないか」「同じじゃないか」「そんな細かいこと」という態度は決して理系的な態度とはいえません。
緻密に丁寧にものを作り上げるのが日本のお家芸です。大事に語り継ぎたい日本の気質でもあります。こうした細かいことにうるさい教育は何かと噛みつかれがちですが、日本人の気質を育むことに貢献しているとも言えるのではないでしょうか。何でもかんでも「古くさい」「固い」という言葉で批判するのはよろしくありません。
SNSでの拡散は正しい行為だったのか?
そもそも、Xでつぶやいて拡散を狙ったこの保護者の姿勢を疑ってしまいます。先生を貶めるような行為だと思うのです。こうして拡散して「援軍」を得ることで、自身はマウントをとったような気分に浸れるのでしょうが、とるべき方法を誤っているように感じます。
そんなに自身の主張があるなら、学校内で子どもの目に触れないところで先生たちと冷静に話し合うべきだったのではないでしょうか。それを子どもの目に触れるところで自己主張して、それを押し通せば、子供たちも先生を「だめな先生」「教え方の間違っている先生」という目で見るようになる可能性すらあります。こういう小さなヒビから「学級」は崩れていくのです。
先生には先生の考えがある。親には親の考えがある。その意見が必ずしも一致する必要はない。ただ、ここは子供を巻き込まずに、話し合って解決するのが「大人」な対応ではないかと思います。