未知の世界線を生きるtuki.の日常の心象風景を想像する。

「晩餐歌」が23年秋以降、話題になり、自分もよく聴いていましたが、この楽曲を作ったtuki.が中学生の頃にリリースし、まだ高校生であることを知ったのは、24年の紅白歌合戦でした。

顔出しなしの演奏に「Adoと同じ路線か」と思いましたが、放送中に現役女子高生のため、素顔・本名などを非公開にしていることが知らされ、自分の人生では経験したことのない〝世界線〟を想像して、ちょっとゾクっとしました。

自分の作った楽曲が何千万回も再生され、世の中を席巻しているのに、だれもそれを自分が作り、歌っていることを知られていない世界線、です。

もちろん、他のアーティストの世界だって経験したことは自分にはありません。でも、ステージなどの場で大勢の人前に立ち、視線を注がれるという経験はあるから、なんとなくですが想像がつきます。

自分のかつての職業・塾講師なんて言ってみれば、〝超小規模なタレント業〟みたいなものです。ちょっと面白ければ、子どもたちはチヤホヤしてくれるし、成績が上がれば、保護者に感謝される。学校の先生もおそらくそうだろうと思います。承認されることの心地よさ。これはある種、麻薬に似た中毒性があります。だから、辞めずに30年近くも続けられたのかもしれません。

タレントやアーティストはその何万倍、何億倍の熱狂が自身に向けられるわけです。当然、批判や誹謗や中傷もあるとは思うけれど、それ以上に熱烈なファンに囲まれ、守られるわけです。

ステージに上がり、ファンや観衆たちの甲高い歓声がすべて自身に注がれる恍惚感。そして、周りからきっとチヤホヤされ、承認欲求が満たされまくりの日常が待っているんだろうな。(余談ではありますが、そんな中で、中居くんみたいに「王様」になり「勘違い」してしまう人も生み出されていくんだろうなと思います。)

でも、tuki.には周りからチヤホヤされたり甲高い完成が向けられることがないわけです。だって顔を知られていないわけだから。ウィキペディアのtuki.のページに書かれていたこの一文を読み、これってどんな気分なんだろうと思わず想像してしまいました。

現役の女子高校生という事もあり、素顔・本名・出身地等を非公開にしている。Xの2024年4月24日投稿には、クラスの気になる男子がtuki.ちゃんと付き合いたいと話しているのを聞いて「あなたの真横にtuki.ちゃんいるよ? 早く告ってこい」と投稿していた。

まるで、ドラマや映画の世界のようなシチュエーション。本当は自分がウルトラマンなのに的なやつですよ。自分だったら、こっそり教えてしまいそう。

経験したことのない世界線、です。
25年1月25日配信のYahoo!ニュースオリジナル「普通の生活じゃなくなるといい音楽が作れなくなる――『晩餐歌』で紅白出場の15歳、tuki.の素顔」という面白い記事がありました。

その記事には、彼女がクラスメートにはアーティスト活動をしていることは知られてなくて、tuki.だと気づかれることなく、普通の高校生としての学生生活を送っていることが記されていました。

中学のときに仲が良かった人は結構知ってるんですけど、高校の友達は一切誰も知らなくて。だから、たまに隣で友達が私の曲を口ずさんだりとかしてると、すごいドキドキします。そういうときは『それ、私の曲』って言いたくなったりもするんですけれど、もし学校でバレたときとか、大騒ぎになったときとかに、普通の生活じゃなくなるといい音楽も作れなくなるかなって思って。普通の生活の中から自分の書く歌詞が出てくると思ってるので、そういう普通の生活ができなくなったら書く曲も変わってきそうで、ちょっと怖いんです

しかしまあ、中学生で「晩餐歌」のようなすごい楽曲を生み出せる才能を持ちつつも自分は平凡な日常を過ごしている気分というのはいったいどういうものなんでしょうね。
自分の才能が世の中で認められているのに、本人は普通の生活の中に溶け込んでいる構図は、なんだか二つの人格を行き来しているようなワクワク感を本人自身が楽しんでいるのはないかと思ってみました。

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