数学で使うアルファベットについて思うこと

音声伝達をする場面での工夫や知恵

齟齬が生まれないように、正確に伝えることはコミュニケーションにおいて大切なことです。

音声での伝達をする場合、同音や似ている音を持つ語は意識的に区別できるように、私たちの生活シーンでは様々な工夫が凝らされています

たとえば、「私立」と「市立」は同音の熟語です。これを音声で伝える場合、「しりつ」ではどちらか判別しにくい。そこで「私立」の方は「わたくしりつ」、「市立」の方は「いちりつ」と発音して、正確に伝わるような工夫をしています。

また「1時」と「7時」などは似ている音のため、音声による伝達の場では誤解が生まれやすいため「7時」を「しちじ」とは言わず、「ななじ」と意図的にアナウンスしている鉄道会社もあります。「首長」を「くびちょう」というのも「しちょう(市長)」と区別するためでしょう。もっとも、市長も首長の一つなんですけどね

自分の中学校はクラス名が「A組」、「B組」とアルファベットでした。校内アナウンスで「D組」を「でーぐみ」と呼ぶ先生がいて、いつも生徒から笑いが起こっていました。「でぃーぐみ」ですよと私たちが指摘すると、先生は「びー」と「でぃー」はこのスピーカーだと聞き取りにくいから、わざと言っているのだと教えてくれました。これも紛らわしいものを、正確に伝える知恵ですよね。その意味で、Vを「ヴィー」とは発音せず、「ブイ」と読むのも同様の配慮なのかもしれませんね。

馬鹿にできない数学アルファベット

さて、なんでこんな話を書いたかというと、数学の文字表記にもあてはまることをお伝えしたかったからです。私自身、数学のアルファベットの書き方には一家言持っています。

たとえば、「2z」などは2とzの形が似ています。そうすると「22」なのか「2z」なのか分かりにくい問題が発生します。だから、数学でzを使う場合には斜めの部分にチョンと入れて区別できるようにするのが理想です。自分などはzは数学ではそのように書き、英語では通常通り書くように使い分けていましたが、昨今の中高生はそうでもないようです。

学習者がこういう細かい部分に気を配ることは重要なことです。自分で問題を解きながら、「2z」なのか「22」なのか認識を間違えれば、計算ミスにもつながりかねません。別の見方をすれば、このような細部まで指導を行き届かせているかどうかで、その指導者のレベルが分かってしまいます。

私が中学生の頃の話ですが、数学担当の先生は、文字式の導入(中1)の際に、数学のアルファベットの使い方にかなり時間を割いてくださいました。これができたからと言って、数学ができるようになるわけではありませんが、しっかりした表記を意識出来たほうが、つまらないミスは減ります。今の中高生は「数学アルファベット」の使い方にはわりと無頓着です。粗雑なブロック体で「ロクビー(6b)」とか書くから、「ろくじゅうろく(66)」に見えたりする子もいるくらいです。こんな表記では「自爆」も誘発しかねませんよね。

図のように表記するとbなのか6なのか、lなのか1なのかといったことが区別しにくい。

普段、英語で筆記体はほとんど使われず、ブロック体の方が一般的です。学校の英語の授業で筆記体を習わなくなったようです。それゆえ、こういった「数学アルファベット(いわゆる筆記体ですが)」の指導は隅に追いやられてしまったのかもしれません。しかしながら、「b」「l」「t」「q」などの表記は、誤解を招きにくい点で、筆記体表記のほうが数学的にはしっくりきます。気分の問題ですが、その方がなんか数学できてる感じもしませんか?

紛らわしさを避けるためのアルファベット表記(赤いラインの部分)

誤解を生まない表記は相手へのマナー

誤解を招かないように伝えるというのは、コミュニケーションの上でとても重要な要素です。特に、文字が乱雑で読みにくいというのは、学習者として失格といったら言い過ぎでしょうか。

本居宣長も「玉勝間」の中で、「文字よみがたくてはいひやるすぢゆきとほらず」と述べ、文字が乱雑だと、「(受け手が)ただおしはかりに心得ては、事違ひもするぞかし」と書いています。誤解の生じない表記をすることは、自分自身の学習の質を上げることにつながるだけでなく、○付けをしてもらう立場として、相手(指導者)への最低限のエチケットでもあると思います。

 

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