文学性・哲学性と格調高さが宇多田の真骨頂
宇多田ヒカルは好きなアーティストの一人です。
アルバムもかつては全て集めるほどよく聴きました。
宇多田は文学で言えば、芥川賞ジャンルのアーティストです。楽曲そのものを安易にカラオケで歌わせない難解さやみんなでワイワイ楽しむ場でテンションを上げていくような音楽ではありません。独りで楽しむ音楽といったらいいのでしょうか。部屋の中で読書するように楽しむ。あるいは車やカフェでゆっくりと聴き入る音楽です。大衆的ではないのです。
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「Automatic」の鮮烈なデビューには、衝撃を受けました。すごい子が出てきたなと生意気ながら感じてしまいました。彼女の歌詞は人の心をかき乱す力を持っています。文学性・哲学性が高いとでもいいのでしょうか。そして格調高さがあります。
英語混じりの歌詞回しなので、一見ライトな印象を受けますが、陳腐さはありません。どちらかといえば、ダークな印象です。この切れ味のある言葉の紡ぎ方こそが宇多田の真骨頂だと思います。
彼女自身、洋邦問わず古典と呼ばれる文学作品をこよなく愛しています。だからこそ生まれてくる表現なのでしょう。
絶妙な〝だけど〟-♪Addicted To Youの構成の妙
1999年にリリースされた「Addicted To You」は、歌全体の構成の妙に度肝を抜かれました。
歌詞を見てもらえれば分かりますが、多分設定は女の子なんでしょうね。その子の恋人に寄せる突っ張った心境を枕に置き、引っ張りに引っ張った末、「だけど」で気持ちや視点の転換をさせる。この「だけど」の使い方は本当に秀逸です。「逆接」はこう使うべきというお手本だと思います。
別に会う必要なんてない しなきゃいけないこと沢山あるし 毎日話す必要なんてない 電話代かさんで迷惑してるんだ(Addicted To You)
前半はこんな感じです。ダークなイメージの曲調で相手に対するドライな心境を歌っています。この突っ張り具合もまたうまい。
そして、「だけど」で「それじゃ苦しくて」「おとなになりたくていきなりなれなくて」と急展開していきます。そこに相手へのウェットな心情を入れることで、恋というものの複雑さ、苦しさを見事に歌いきるのです。歌詞の紡ぎだす心象風景に、聴き手はすっかり乗せられ、聞いている方もこの「だけど」で鮮やかに気持ちを反転させられます。この構成の妙は漢詩の起承転結に相通じるものがあると自分は勝手に思っています。
実は、彼女のライブにも行ったことがあるのですが、正直、ライブ自体の進行でいえば、サザンとかさだまさし(ここで比較するのはどうかと思いますが)の方が間違いなく楽しめます。何が言いたいのかというと、彼女はエンターテイナーではなく、どこまでも作家なのです。文学者。どちらかといえば、MCももどかしいし、部屋にこもって作品を創り出すという雰囲気が似合っています。そういう意味でも「ヒッキー」なんだと思います。
「人間活動」後の成長を感じさせた2曲-♪花束を君に と♪真夏の通り雨
だから、彼女が「人間活動」を表明し、隠遁生活のような方向に行ったのも、すごく説得力がありました。まさに「文学者・宇多田」の生き方に似つかわしい選択だと思いました。
その「人間活動」後にリリースされた「花束を君に」と「真夏の通り雨」という2曲は、活動休止で蓄えた創造力がいかんなく発揮されている、より作家としての成長を感じさせる歌詞です。
ちょっと気になった部分を引用してみます。
「毎日の人知れぬ苦労や淋しみも無く/ただ楽しいことばかりだったら/愛なんて知らずに済んだのにな」(「花束を君に」)
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「真夏の通り雨」になると、これは歌詞ではなくすでに「詩」の世界です。
木々が芽吹く 月日巡る 変わらない気持ちを伝えたい 自由になる 自由がある 立ち尽くす 見送りびとの影 思い出たちがふいに私を 乱暴に掴んで 離さない 愛してます 尚も深く 降りやまぬ 真夏の通り雨
この「真夏の通り雨」というタイトルも秀逸です。
もはや「和歌」の世界観を感じさせる一曲-♪桜流し
エヴァンゲリオンの主題歌としてリリースされた「桜流し」も素敵な曲です。その歌詞の一部を紹介します。
開いたばかりの花が散るのを 見ていた木立の遣る瀬無きかな
う~ん。これはもう既に和歌の境地です。もちろん「花」は桜を指しているのだと思います。こういう雅な言葉選びができるのも古典の素養がある宇多田だからこそなのでしょう。「花束を君に」が熊本で震災に遭われた人たちを元気づけているという記事も見ました。
言葉で人の心に癒しを与えられる。歌の力、言葉の力ってすごいですよね。
やっぱり宇多田は天才だと思います。