勉強にも「守・破・離」の流れが大切

「守破離」って何?

武道や芸事のことばに「守破離」という言葉があります。勉強もまさにこの流れが大切だと常々感じています。

Wikipediaによれば、

修業に際して、まずは師匠から教わった型を徹底的に『守る』ところから修業が始まる。師匠の教えに従って修業・鍛錬を積みその型を身につけた者は、師匠の型はもちろん他流派の型なども含めそれらと自分とを照らし合わせて研究することにより、自分に合ったより良いと思われる型を模索し試すことで既存の型を『破る』ことができるようになる。さらに鍛錬・修業を重ね、かつて教わった師匠の型と自分自身で見出した型の双方に精通しその上に立脚した個人は、自分自身とその技についてよく理解しているため既存の型に囚われることなく、言わば型から『離れ』て自在となることができる。このようにして新たな流派が生まれるのである。

まず入り口は 「まねる」ということが大切で、型にはまることが第一歩 になるわけです。

数学でも英語でも、多少勉強ができる子は型にはまることを嫌がる傾向がありますが、型を身につけることで見えなかったことが見えてきたりもします。

たとえば、自由英作文のような問題を勉強するときに、いきなり自分の英語力の中から考えて書こうとする子がいます。たしかに〝自由〟英作文だから、それも間違ってはいません。でも、どうでしょうか? ダンスの経験がない人間がいきなり踊ってと言われたら、まぁ「踊る」ことはできるでしょう。しかしながら、相手が求めているレベルの「踊り」を披露することができるのは、ほんの一握りだと思います。

出題者の狙いは自らの英語力を駆使して、どれだけの英文を表現できるかにあるわけです。素で書かせれば、本来の力が見られるので、筋のいい子はこれでもそこそこのものは書いてきます。しかし、ほとんどの場合、読めたものではないような支離滅裂な英文を晒すことになりかねません。ダンスの例と一緒です。

習得には段階やプロセスがある

習得には段階やプロセスがあります。ところが結構、最初のステージは単調だったり、そこにどんな意味があるのか感じにくいトレーニングも少なくありません。成長できない人はそうしたトレーニングを無意味と決めつけ、せっかくの土台作りを軽んじてしまいがちのように思います。しかし、 実は無駄だと思えたことが、後から生きてくることが多い のです。

だから、「守破離」なわけです。

ダンスを自由に踊ること、英文を自在に書くこと。これは「離」の段階であって、いきなりそこから入っても入門者がうまくできないのは当然です。だからといって、「離」のトレーニングを繰り返しても上達できません。なぜなら、土台がないからです。型もできていないのに、型の破り方、発展のさせ方など分かるはずがありません。

これを自由英作文にあてはめて考えてみます。

 「守」の段階は、まず模範解答や例文をしっかりインプットして、どのように書くべきなのかを習得 していきます。まねていくのです。そして、基本例文がそらんじられるくらい、自分のものとしていく。肉体化の作業といってもいいかもしれません。

こうしていくつかのパターンを身につけて、借り物の英語であっても、文法的に瑕疵のない英文がある程度、構成できるようになったら、「破」の段階に入っていくわけです。

 「破」の段階 では、いままで体得した型を多少崩してみる。この頃には基本的な例文がインプットされているから、その 組み合わせを自在に組み合わせる ことで、それなりの英文が書けるようになっていると思います。

自由作文で言えば、「守」から「破」の段階に移行していく時点で、頑強な語彙力と文法力は外せません。土台がしっかりしていないと、破れない。その意味で、最初のステージである「守」は丁寧に時間をかけてやらなければいけません。

そもそも、「まなぶ」という言葉は「まねぶ」すなわち「まねをする」ことに語源があります。それだけみても、いかに「模倣」することが習得において重要なのかをうかがい知ることができます。

さて、現在の入試を見渡すと、求められている力は「離」の力だと思います。表現力や思考力を問うような問題は、オリジナリティーが求められます。しかし、 こういった問題を解きこなせるようになるためには、「守」の部分が非常に重要 なのは先に述べたとおりです。

残念なことに、新しい学力観の登場は「離」にばかりフォーカスがあてられ、やれ思考力だ、論理力だと声高に叫ばれ過ぎているように感じます。しかし、 思考力や論理力を養うためには、「守破離」の道筋をしっかりたどらなければいけない という視点が欠落しているように思えてなりません。

 知識偏重から思考力重視の入試にシフトしたとしても、思考力は知識の上に成り立っているという視点を絶対に見失ってはいけない ということです。よく分かってもいないのに、知識ばかりが豊富だというのも考えものですが、乏しい知識の中では深い思考はできないのもまた事実です。

 

 

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